戸島健の経歴について

旅行の楽しさに目覚める。
このころダムや滝が好きだったので、よく連れてもらった。

1991年には松阪市立大河内小学校に入学する。
1クラス38人前後の学校で、2組とか3組など他クラスがある学校とは違って、クラス替えがなかった。それでも転校生がいたのでクラスのメンバーに多少なりとも変化があった。

この頃、我が家の車が当時流行っていたディーゼルターボの1BOXカーに。
赤いラングレーに載っていたが、あれで富士山に行くのは大変だったろう。名古屋あたりを走っていた記憶はない。
4WDだったので、中学まで毎年のようにスキーに連れて行ってもらった。

1991年

小学校に入学する。
このころは木造校舎だった。築たしか80年を超えていて、古かったものの、風格がありあれはあれでよかった。1993年には安全のため鉄筋コンクリートとなった。
引っ越しの時に本を運んだのをうっすらと覚えている。
どちらも校舎のデザインはすばらしいものとなった。

1992年~1993年

はじめてビデオゲーム(スーパーファミコン)に触れる

ハードと同時に購入してもらったソフトのタイトルはスーパーマリオワールド。初めてのビデオゲームでとてもハマったのを覚えている。

まわりでスーパーファミコンを手に入れていたのは家が一番早かったのではないかと思う。コミュニケーションが下手で、友達作りや話題作りのために提案してねだって買ってもらった。

スーパーファミコン三昧で友達とよく遊んだ。
みんなそれほどソフトを持っているわけではないので、違うソフトがある家に遊びに行ってマリオカートをやったりや苦手だったけれどもストリートファイターなどを見ていた。
創造力やが乏しかったこと、どういったソフトがあるのかや、どういった内容だったかを知らなかったので、マリオ以外は食わず嫌いで特にねだることはなかった。

スポーツは苦手だったが、外でカブトムシを取りに行ったり、砂場で遊ぶようなことは好きだった。
このころ、犬を初めて飼った。子どもが生まれて祭「大石不動院八朔祭」に引き取り手を探していた家に犬をもらう。名前はチビ。
犬の世話をちゃんとしないので、ダメダメだったが犬と遊ぶのは楽しかった。

1993年頃にスーパーファミコンのソフトとして、マリオペイントやマリオとワリオを買ってもらって遊んだ。もう少し踏み込んでお絵かきをしたり、マリオとワリオもクリアできればよかったが、どうも自分には難しいところがあった。それでも、マウスに触れることが出来たのは他の人と比べて結構早かったのではないかと思う。

このころ親がワープロを購入(コンピュータではなくワープロ専用の機械)。
しかし、格好をつけたものの機械音痴だったのか、FAXやらなにやら有効活用されず。自分もよく似た性格です。

1994年

学校にて、はじめてパーソナルコンピュータに触れる。コンピュータ好きの教師がいて、コンピュータクラブかなにかでパーソナルコンピュータのゲームに触れさせてもらった。
その教師のおかげか否か、田舎の1年1クラスほどのがっこうだったが、コンピュータ室が整備され、触れる機会があった。
しかし、今を思えばコンピュータを扱える教師が少なかったせいか、それほど自由にできるものでも、活用できるものでもないので、情報学習・情報教育に強力な影響をあたえるものはなかったと記憶している。

1995年

ゲーム中心の生活は続く。学校の宿題はなかなかやらない。
家で勉強するという習慣がなかった。

当時FF VIを発売から、半年ほど過ぎて買ってもらってはまっていた。初めてマリオのタイトルから脱出したような、そんなゲーム。RPGの世界に魅了された。

なにか創作する、したい。という気持ちはあった。
当時はFFにはまっていたので、モンスターのイラストをよく描いて友達と見せあいっこをしていた。もっと描いていたら、上手なイラストが描けるよになっていただろうけれども、そこそこのところで飽きた。

この頃の夏にFF Vの中古を購入。頑張ってクリア。FFにどんどんハマる。

1996年

がんばれゴエモン4、ぷよぷよにハマる。
苦手なゲームや食わず嫌いなゲームが多かった。友達が持っていたゲームの続編などを買って新しいゲームにのめり込むような時期。
プレステが発売されて、友だちが買っていたがFFが出るまではそれほど興味がなかった。

この頃にFF VIの中古を購入する。最後までクリア。

この時の後悔

  • 生徒会長でもやっていればよかった
  • 家にコンピュータがあればよかった